■ タイのことわざ
■ 業務紹介
■ タイ語別館
■ 会社情報
■ 広告

HOME > タイ語別館  > タイのことわざについて > うし

牛に草を食べさせる

他の人を自分の言うとおりにさせることです

あの子は法律を勉強したくないようです。お父さんと同じ弁護士にはなりたくないと言っています。無理に勉強させない方がいいと思いますよ。牛に草を食べさせることはしないほうがいいという昔の言葉があります。

「牛に草を食べさせる」は人を牛に例えています。お腹がいっぱいの牛にむりやり草を食べさせるように、人がしたくないことを、無理矢理させるという意味です。

▲PageTop

牛を怖がらせるように虎の絵を描く

相手を怯えさせるために何かをすることです

怖がらせようとしなくてもいいですよ。そんなことをしても、私はあなたが怖くないです。「牛を怖がらせるように虎の絵を描く」をしないで。

「牛を怖がらせるように虎の絵を描く」は、牛が虎を怖がることから来ています。牛を怖がらせるために虎の絵を描くことは、相手を怖がらせるということです。

▲PageTop

牛の事件が終わらないうちに水牛の事件まで起こる

次から次へと悪いことが起こるという意味です

彼女はかわいそうですね。長男が重い病気でまだ治らないのに、末っ子まで病気になった。これが、「牛の事件が終わらないうちに水牛の事件まで起こる」ですね。

「牛の事件が終わらないうちに、水牛の事件まで起こる」は次のような話から来ています。昔、二人の男の間で牛の盗難事件が発生しました。王様がこの事件を解決したのですが、また次に水牛の盗難事件が起こったのです。この諺は、次から次へと悪いことが起こるという意味です。

▲PageTop

水牛を殺す時、とうがらしをもったいないと思うな

大きいことをする時には、けちるべきではないという意味です

何千万バーツも投資して大きいデパートを建てたのに、駐車場を造らなかったら不便ですよ。「水牛を殺す時、とうがらしをもったいないと思うな」です。

「水牛を殺す時、とうがらしをもったいないと思うな」は水牛を殺して、料理を作ることから来ました。水牛一匹を料理すると、とうがらしをたくさん使います。それをもったいないと思ってとうがらしをけちると、料理のおいしさが半減してしまいます。諺は、大きいことをする時にけちったら、その仕事がだめになってしまうという意味です。この諺はよくけちな人に対して使われます。

▲PageTop

耕作の時期に牛を買う 冬に布を買う

タイミングを誤り、ふさわしくない時に行動したら大変なことになるという意味です。

今この商品は人気があってよく売れているから、商人はこの機会を狙って値上げをするだろう。だから今買うべきではない。「耕作の時期に牛を飼う 冬に布を買う」をするな。

「耕作の時期」は田んぼを耕す時期で、6月〜12月までです。牛は田んぼを耕すのに一番頼りになる動物です。だから、たんぼを耕す時期に牛を買おうとすると、値段が高くなります。また、冬は寒いため、人々は服を必要とします。この時期に布を買うと、値段が高くなります。この二つは同じ意味です。ふさわしくない時に行動を起こしたら、大変なことになるという意味です。

▲PageTop

牛は尾を見ろ 女は母親を見ろ

結婚する相手をよく選ぶことです

この女の人がどんな人か知りたかったら、彼女の母親を見てください。「牛は尾を見ろ 女は母親を見ろ」ということわざがあります。

性質のいい牛はしっぽの先の毛が菩提樹の形をしています。一方、女の人はその人がどんな人かは母親を見れば分かります。母親がいい人でおとなしかったら、娘も同じです。

▲PageTop

水牛を追うような歩き方

速い歩き方のことです

何でそんなに急ぐの。水牛を追うような歩き方だな。

「水牛を追うような歩き方」は水牛を探すために速く歩くことから来ています。普段、水牛を飼う人は夕方まで水牛に自由に草を食べさせます。夕方になったら、小屋の方に帰らせます。しかし、時にはいなくなる水牛もでてきます。そうなると、暗くなるまでに探さなければなりません。だから、水牛を探しに行く人はとても速く歩くのです。速く歩く人は水牛を追うような歩き方と言われます。

▲PageTop

マグワの代わりに牛に当たる

ある人に対して怒っているけど、その人には何もできず、代わりにその人と関係のある人にその怒りをぶつけることです。

彼は友達に仕返しできないから、代わりに、友達の妹に仕返しした。「マグワの代わりに牛に当たる」だ。

「マグワの代わりに牛に当たる」は田んぼを耕すことから来ました。「マグワ」は牛が引く道具で、田んぼにあるわらや草を片付けるために使います。壊れるなどしてマグワが使えないときもあります。そんな時、人はマグワに何もできないから水牛に八つ当たりして叩きます。水牛はマグワの代わりにたたかれるのです。諺の意味は、怒ってもその人には何もできないから、その人に関係のある人に怒りをぶつけるという意味です。

▲PageTop

牛を見ぬうちからひもを結ぶな

欲しい物がまだ手に入らないうちは、何もしない方がいいという意味です

昇進するかどうかまだ分からないから、まだ誰にも言わない方がいいよ。「牛を見ぬうちからひもを結ぶな」なんだから。

「牛を見ぬうちからひもを結ぶな」はスパーシットプラルアン(プラルアンの教え)から来ました。はっきり分からないうちは、まだ何もしない方がいいという意味です。

▲PageTop

牛が可愛ければ縛れ 子供が可愛いければ叩け

子供が悪いことや間違ったことをしたら、甘やかさずにたたけという意味です。

親は必要なときには子供を叩く。いい子になって欲しいからだ。「牛が可愛ければ縛れ 子供が可愛ければ叩け」の通りだ。

「牛が可愛ければ縛れ 子供が可愛ければ叩け」は子供を育てることを牛を飼うことに例えています。牛が可愛ければ縛らなければなりません。そうしないと、牛は他のところへ行って何か悪いことをするかもしれません。また、盗まれるかもしれません。一方、子供を愛するなら、子供が悪いことをした時、たたかなければなりません。そうでないと、将来言うことを聞かない、悪い子になってしまいます。この諺は親に子供を甘やかさないようにと注意する諺です。

▲PageTop

若い草を食べる老牛

年下の若い奥さんのいる男の人のことです

近所のおじいさんはもうすぐ70歳なのに、自分の娘や孫ぐらいの年の女の人と結婚している。これが若い草を食べる老いた牛です。

「若い草を食べる老牛」は年上の男の人を老いた牛に例え、若い女の人を若い草に例えています。若い草を食べるのが好きな老いた牛は、若い女性が好きな年配の男性や若い奥さんを持つ男の人例えです。

▲PageTop

乗ったことがある牛や馬 (なじみの牛や馬)

よく知っている人 分かり合っている人のことです。

彼について何か知りたかったら、ニッタヤーさんに聞いた方がいいですよ。なじみの牛や馬だから。

「なじみの牛や馬」は牛や馬に乗ることから来ました。乗ったことがある牛や馬とはお互いに分かり合うことができます。この諺は、なじみの人、よく分かり合っている人という意味です。夫婦によく使われます。

▲PageTop

牛は自分の小屋に戻る

自らの善悪の業の報いを自分自身で受けることです

彼は他人の娘に悪いことをしたから、今度は自分の娘が誘拐された。これが「牛は自分の小屋に戻る」だ。

「牛は自分の小屋に戻る」は牛を飼う事に由来しています。牛はほとんど群れで行動します。小屋に着いたら、自分の小屋に入ります。この諺は、自分が何かをしたら、良いことでも、悪いことでも、自分のしたことの結果を受けることになるという意味です。

▲PageTop

柱を回る牛

もとのところに戻って来ることです

気をつけてね。友人の恋の橋渡しをするなんて。そのうちに彼が自分の方に来ちゃうよ。柱を回る牛だ。

「柱を回る牛」は牛を飼う事から来ました。牛を飼う人は牛を柱に結びます。牛はどこへも行けないので、柱の周りを歩きます。するとひもがだんだん短くなっていきます。そして牛は柱とくっついてしまいます。柱の周りを歩く牛は物事が最初の所に戻ってしまうことの例えです。また、友達に頼んで自分の好きな人に連絡してもらううちに結局、その友達と好きな人が結婚してしまうという意味もあります。仲を取り持つ人が始点になり、結局その始点に物事が戻ってくるという意味です。

▲PageTop

柱のない牛 支柱のない瓜

自分の居場所がない人、ふらふらしている人のことです

あなたはいつになったら自分の居場所を決めますか。あっちこっちふらふらしているなんて「柱のない牛 支柱のない瓜」のようですよ。

「柱のない牛 支柱のない瓜」は牛を飼う事や瓜を植えることから来ました。普段、牛を飼う時、牛を柱に結びます。「柱のない牛」は柱に結んでいない牛という意味で、あっちこっちに行ってしまう牛のことです。一方、「支柱のない瓜」は巻きつく部分がない瓜のことです。このような瓜は土の上をはいます。諺では、自分の居場所がない人やふらふらしている人を柱のない牛や支柱のない瓜に例えています。

▲PageTop

自分の足を忘れる牛

地位が高くなった人が自分の元の地位を忘れてしまうことです

この家の息子はバンコクで出稼ぎに行って、偉くなって、親を忘れてしまった。これが「自分の足を忘れる牛」だ。

自分の足を忘れる牛」は「奴隷が自分の立場を忘れる」と一緒によく使われます。「奴隷が自分の立場を忘れる」は立場が高くなって、以前の立場を忘れてしまうことです。「自分の足を忘れる牛」は、地位が高くなった人が自分の元の地位を忘れてしまうと言う意味です。

▲PageTop

背中に傷がある牛

自分にやましいことがあるために、すぐに怖がる人のことです。

「背中に傷がある牛」にならないでください。私はまだあなたが今回の社員のストライキと関係があるとは言っていませんよ。

「背中に傷がある牛」は次の考えから来た。背中に傷がある牛は飛んでいるカラスを見たら、怖がります。カラスがその傷を食べに来ると思うからです。この諺の意味は、こころにやましいことのある人が何か聞いたり、見たりして、すぐに不安になることです。

▲PageTop

牛がいなくなった後に小屋の壁を作る

物がなくなった後で、守る方法を考える、つまり、何か起こった後で、解決する方法を考えることです。

先週泥棒に家に入られたので、彼はもっと高い塀を作った。これが「牛がいなくなった後に小屋の壁を作る」だ。

「牛がいなくなった後に小屋の壁を作る」は、普段、牛を飼う人は牛のための場所として、牛が逃げられないように小屋を作ります。牛がいなくなった後で小屋を作っても遅すぎます。なんの解決にもなりません。この諺では、何か起こった後で、守る方法を考えても意味がない、何か起こる前に対策を考えろと言う諺です。

▲PageTop

草を食べてばかりいる牛

食いしん坊、欲張りな人のことです

君!いつまで食べ続けるんだい。もう3杯も食べて、まだお腹いっぱいにならないの。「草を食べてばかりいる牛」のようだなあ。

「草を食べてばかりいる牛」はたくさん食べる人を草を食べる牛に例えています。牛は草を食べてばかりいます。その様子が食いしん坊な人に似ているのでこの諺ができました。

▲PageTop

牛にソーを弾く

愚かな人に何を言っても、何の効果もなく、何の役にも立たないということです。

あの人たちに話さない方がいいよ。いくら話しても分からないから、疲れるだけだ。「牛にソーを弾く」ようだから。

「牛にソーを弾く」は愚かな人を水牛に例えています。タイ人は、水牛は他の動物と比べると愚かな動物だと思っています。水牛にソーを弾いても、水牛は何も分かりません。何の役にも立たず、時間の無駄です。諺では、愚かな人に何を教えても理解できず、時間がもったいないという意味です。

▲PageTop

水牛の角をとがらせてぶつける

扇動して、けんかさせることです。

あの人たちは仲がいいから、「水牛の角をとがらせてぶつける」ことをしないでください。

「水牛の角をとがらせてぶつける」は水牛をお互いにぶつけることから来ました。水牛の角をとがらせると、ぶつけるときに有利になります。この諺は、余計なことをして、喧嘩になってしまうという意味です。

▲PageTop

人の家に入る時にはただいるだけではなく、
   その人の子供に牛や水牛を作ってあげる

他人の家にいるときは、ただいるだけではなく、その家の人の役に立つことをするという意味です。

バンコクのおじさんの家にいるとき、何かあったら手伝いなさいよ。「他人の家に入る時にはただいるだけではなく、その人の子供に牛や水牛を作ってあげる」というようにしなさい。

「人の家に入る時にはただいるだけではなく、その人の子供に牛や水牛を作ってあげる」は他の人の家にいるときは、怠けるなという諺です。

▲PageTop