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アユタヤ (Ayutthaya)

417年間に渡りタイ王国の首都であったアユタヤ時代には5つの王家、ウートーン王家、スパンプーム王家、スコータイ王家、プラサートトーン王家、バーンプルールアン王家が存在しました。33代もの国王が統治し、初代国王はプララーマーティボディー1世(ウートーン王)でした。しかし33代も続いたアユタヤ王朝も、1767年ビルマ軍との戦いで滅びてしまい、多くの建造物がこのビルマ軍によって破壊されました。その面影が今も遺跡の中に残されています。
また、アユタヤにある日本人町を中心に東南アジアで活躍した山田長政はこの日本人町の頭領となり、アユタヤ王朝のソンタム国王からオークヤー・セーナーピムックという官位を授けられたと伝えられています。
平坦な土地を持つアユタヤには、3つの大きな川、チャオプラヤー川、パーサック川、ロッブリー川が流れており、その川に囲まれるようにアユタヤの町があり、まるで島のように見えます。

タイの地図 アユタヤ

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アユタヤへの交通


1. バンコク→国道1号線→国道32号線→国道309号線→アユタヤ。
2. バンコク→国道304号線→国道302号線→国道306号線→パトゥムタニー→国道3111号線→国道3263号線→アユタヤ。
3. バンコク→国道306号線→国道347号線→国道3309号線→アユタヤ。

バス
バンコクのモーチットからアユタヤ行きのバスが毎日運行しています。約1時間30分〜2時間。

鉄道
バンコクホアランポーン駅からアユタヤ行きが運行しています。約1時間半〜2時間。


チャオプラヤー川の両岸に住む人々の生活や美しい風景を望むことができることからアユタヤ行きの船は外国人観光客にとても人気があります。

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アユタヤの観光スポット

プラシーサンペート寺院(ワット・プラシーサンペート)
開館は8時半〜16時半。入場料30B。
プラ・モンコンバピトーン本堂の北側にあります。1491年に作られた王宮内にあるこの寺院は、バンコクのワット・プラシーラッタナーサートダーラームやスコータイのワット・マハタートと並ぶ重要な寺院であり、アユタヤ最大の王室寺院です。プララーマーティボディー2世は1492年、大きな2つのプラサトゥープ・チェディ(仏塔)を建てました。東側にある1つ目の仏塔は、三界王プララーチャビダーの遺骨を納めるために、また、中央にある2つ目の仏塔は、ラーチャティラート3世の遺骨を納めるために造られました。1499年、大きな本堂が建てられ、1500年には高さ16m、重さ約171kgの黄金に包まれた仏像が建てられました。この仏像は本堂内に安置されており、「プラ・シーサンペートヤダーヤーン」と呼ばれていましたが、アユタヤ王朝の滅びた1767年、ビルマ軍は仏像を焼き滅ぼしてしまいました。西側にある3つ目の仏塔は、プララーマーティボディ2世の遺骨を納めるためにラーチャーティラート4世によって建てられました。戦争で焼き残ったこの3つの仏塔は、セイロン式仏塔で、後に修復されています。

マハタート寺院(ワット・マハタート)
開館は8時半〜16時半。入場料30B。
ワット・プラシーサンペートの東側、パーターン橋のたもとにあるこの寺院は、ラーチャーティラート1世の時代に建てられたと言われています。ワット・マハタートの仏塔は、クメールの影響を受けたアユタヤ時代の最初の仏塔と言われており、下階は紅土で造られていますが、増築された上階はモルタルを塗った煉瓦でできています。プラサートトーン王は元より高くなるよう新しく仏塔を修復されましたが、残念なことに、仏塔の天辺が崩れてきており、現在は正面玄関部分しか残っていません。仏塔はとても大きく美しかったことが現在でも分かります。1956年、芸術局がこの地で発掘した古代品の中には、重要なポープシラー(遺骨などを入れる脚付きの石でできた容器)も含まれていました。7段積み重ねられた塔は、チン(鉛)、ングン(銀)、ナーク(金、銀、銅の合金)、マイダム(黒木)、マイジャンデーン(センネン木)、ゲーオゴーメーン(深紅色の宝石)そしてトーンカム(二十四金)に分かれています。

ラーチャブーラナ寺院(ワット・ラーチャブーラナ)
ワット・マハタートの向かい、パーターン橋のたもとにあります。ラーチャーティラート2世(サームプラヤー王)は1424年、騎象戦で命を落としたアーイプラヤー王とイープラヤー王が奉られてある近くにこの寺院を建てられ、また二つの仏塔も建てられました。クメール式に従って建てられたこの仏塔には美しい模様が描かれています。仏塔の地下室には、赤色で描かれた絵があり、パーンシーラー像とパーンサマーティ像には金箔が貼られています。また、神々の絵と花の絵も描かれています。芸術局がワット・ラーチャブーラナを発見した時に発掘した古代品は、現在博物館に納められています。

ヤイ・チャイモンコン寺院(ワット・ヤイ・チャイモンコン)
別名「ワット・パーゲーオ(パーゲーオ寺)」または「ワット・チャオプラヤータイ(チャオプラヤータイ寺)」。
パーサック川の東側にあります。バンコクから来る場合は、アユタヤ市内に入るとワット・サームプルムのチェディ(仏塔)が見えてきますので、そこを左折します。左折したら1kmほど真っ直ぐ進みます。すると左手にワット・ヤイ・チャイモンコンが見えてきます。
歴史上の資料に基づき推測すると、この寺院はウートーン王が1357年に出家した僧侶の出家する場として建てられたと考えられています。仏法を学習しに行く僧侶たちのことをタイ語では「カナ・パーゲーオ」と呼ぶことから、この寺院は「ワット・カナ・パーゲーオ」略して「ワット・パーゲーオ」と呼ばれていました。
1592年、ナレートウォンマハラート王がスパンブリ県ノーンサーラーイ地区での騎象戦でビルマの副王に勝った時に、勝利の記念としてこの寺院に大きな仏塔を建てました。確かな証拠はありませんが、仏塔の建設は元々あった仏塔を修復、または造り直した可能性があります。この仏塔は「プラ・チェディー・チャイモンコン」と名付けられていますが、人々は「プラ・チェディー・ヤイ(大きな仏塔)」と呼んでいます。このことから、この寺院は「ワット・ヤイ・チャイモンコン」と呼ばれています。この寺院は最後に都が破壊された時に廃墟となり、その後雨期ごもりの僧侶のいる寺として建て直されました。

パナンチュンウォンウィハーン寺院(ワット・パナンチュンウォンウィハーン)
パーサック川南の川沿い、市内の向かい側にあります。ワット・パナンチュンはアユタヤ王朝が起こる前からあった寺院です。建設者は明らかになっていませんが、北地方の王朝年代記によると、アヨタヤを統治していたサーイナームプン王がソーイドークマーク王女を火葬された場所に建設され、この寺院を「ワット・プラチャオ・プラナーンチュン(またはワット・プラナーンチュン)」と名付けられたと記されています。
本堂の中には大きな仏像が安置されています。王朝年代記では、この仏像は1324年に建てられたとされています。以前は「プラ・プッタチャオパナンチュン」と呼ばれていましたが、この仏像が修復されたラマ4世の時代に新しく「プラ・プッタトライラッタナーヨック」と名付けられました。

バンサイ芸術センター
シリキット王妃の時代に農業振興のためにチャーンヤイ地区に建てられました。このセンターは農民たちのための製造芸術に関する職業訓練を目的としています。すなわち、植物繊維からの製品製造、彫刻、竹や籐編み、人形製造、造花製造、家具製造、布織り、布製品、染色、溶接工、焼き物などがあります。これらの製品は全国の王宮店各支店に送られ売られます。その他にもセンターの中には様々な興味深い物があります。例えば、バンサイ芸術センターはチーク材と紅木でできています。またバンサイ野鳥園は自然が混ざり合った大きな鳥籠として作られ、50種類もの鳥が生息しています。

バンパイン宮殿(プララーチャワン・バンパイン)
市内から南に18kmほど行った所にあります。王朝年代記によると、プラサートトーン王が建てたとされています。仏陀の生誕の地としてまたエーカータソット王がバンパイン島辺りで王宮の船が転覆した時に出会った女性の邸宅としてバンパイン島付近に建てました。
1632年、プラサートトーン王はバンパイン島の女性の邸宅付近に寺院を建てられ、この寺院を「ワット・チュムポンニカーヤーラーム」と名付けました。そして、水溜め場を掘り、お忍びで行かれる場所として島の中央に宮殿を建てました。また水溜め場に沿って王座が造られました。この王座は「アイサワンティップアート王座」と呼ばれています。
バンパイン宮殿以外の見所には、クメール式仏塔の「ホー・ヘームモンティアンテーワラート」、大広間として使われていましたがその後取り壊し西洋風に煉瓦を使って建て直された二階建て木造家屋の「ワローパートピマーン」などがあります。

ロカヤスタ寺院(ワット・ロカヤスタ)
スリヨータイ王妃のチェディーの近くに位置します。全長29m、高さ5mの寝釈迦像が横たわっています。

プララーム寺院(ワット・プララーム)
開館は8時半〜16時半。入場料30B。
1369年に建てられたクメール様式の寺院で、ウートーン王の遺骨が納められています。この寺院の前には大きな池があり、「プララーム池」と呼ばれ地元の人々や旅行者の憩いの場となっています。

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アユタヤの祭りと文化

バンサイ芸術祭り
毎年1月下旬にバンサイ地区にあるバンサイ芸術センターで、芸術に関するショーとコンテストが行われます。他にも特産品の販売などがあります。

バンサイ芸術センターによるローイクラトン、ボートレース祭り
毎年11月下旬にバンサイ地区にあるバンサイ芸術センターで、ノッパマートコンテスト(※)、パレードコンテスト、灯篭コンテスト、吊るし灯篭コンテストが行われます。他にもその土地特有の遊びのショー、ボートレース、インターナショナルボートレース、芸術品の販売などが行われます。

※ノッパマートとは、スコータイの王宮に仕えた女性で詩人、学者。

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アユタヤの特産品

貝の装飾品、トッ・ムー・ブーチャー(大小数個の机を一つのセットにしたもの)、法座、様々な木を使った家具、彫刻された木器、コイ科の淡水魚、お面、ローティー・サーイ・マイ(砂糖を絹糸のように細くしたものをローティーで包んだもの)、宝石研磨、石で磨いた金属碗、土鍋、竹製の帽子、竹を編んだ製品、孔無竹から作られた製品などがあります。
また、ハンタラー地区アジア通りにある農民中央市場では、アランジック村の刃物、バーンプレーク地区の編み団扇、アユタヤ地区の彫刻品、バンパイン地区の既製服、プララー(魚を塩漬けにし炒り米を加えて発酵させたもの)、干し魚、果物などを買うことができます。この他にもえびや新鮮な魚を使った料理を出すレストランがたくさんあります。

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アユタヤのOTOP

1)5つ星 テーパモンコン村の「ベンジャロン焼き」
OTOP NO. 141305-D001

美しい色合いが目を惹くベンジャロン焼きです。

 

2)5つ星 フアロー村の「バラのランプ」
OTOP NO. 140104-A106

バラやランの花がゴージャスな雰囲気を醸し出す美しいランプです。
サイズ:幅 17cm  高さ 70cm  重量 2,845g
小売価格  3,500 バーツ

 

3)5つ星 メーラー村の「食器セット」
OTOP NO. 140308-SA003

皿、スプーン、フォーク、ナイフ、ナプキンがセットになっています。

 

4)5つ星 クローンスアンプルー村の「クサネムの花飾り」
OTOP NO. 140117-A001

マメ科の一年草であるクサネムの花のオブジェです。

 

5)5つ星 サパーンタイ村の「焼き菓子」
OTOP NO. 140504-A002

粉状のココナッツや卵、砂糖などを混ぜ、型に薄く延ばし、焼き上げて巻いたお菓子です。
原料:ココナッツパウダー、卵、砂糖

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